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最高裁判所第一小法廷 昭和29年(オ)466号 判決

主文

原判決を破棄し本件を仙台高等裁判所に差戻す。

理由

訴訟代理人弁護士高橋隆二の上告理由について。

原判決によれば、原審は被上告人森元タツ子が上告人から賃借していた本件係争宅地を上告人の承諾を得ず判示の如く区分して森元タツ子以外の被上告人らにそれぞれ転貸したことにより、上告人において民法六一二条により右宅地の賃貸借契約につき解除権を取得したこと及び昭和二五年一二月一六日上告人が被上告人森元タツ子に対して賃貸借契約解除の意思表示をなしたことを認めながら、右解除権の行使を権利の濫用であり無効である旨判示し、更に右宅地の所有権に基づき被上告人らに対してその各々が該地上に所有する判示建物の収去、その敷地の明渡を求める上告人の本訴請求をも権利の濫用であるとして排斥している。すなわち原審はまず「建物所有を目的とする土地の賃貸借においては建物の賃貸借の場合とは異りその土地使用者が変つても土地使用の点では殆んど影響のないのが普通であり賃貸人の利益は主として確実に地代の支払を受け得るかどうかの点にあるから賃借物の無断転貸のなされた場合においても土地の使用者に変動はあつても地代の支払義務者には変動がないのであるから賃貸人において賃貸借を解除することを無制限に許すことはできない。……すなわち賃貸人の賃貸借契約の解除並びに賃貸物の所有権の行使は民法第一条の趣旨に従い社会正義に照らし正当の理由あると認められる場合に限り許されるものといわねばならない」と前提し、論旨摘録のとおり(1)ないし(7)の事実を確定し、これに基づいて「当事者双方に存する事情を対照して考察するに控訴人(上告人)は、被控訴人(被上告人)タツ子のなした本件土地の転貸によつて殆んど不利益を受けるところはないし、また同被控訴人となした賃貸借契約を解除しなければならないような特段の必要も認められないのに対し被控訴人らは本件の各家屋を収去し本件土地を明渡すことによつてその住居を失い、数年ないし十数年の長きにわたつて継続して来た営業を廃止せざるを得ないこととなり、その生活に対する脅威、経済的損害は甚大であり、現今の如く住宅が極度に払底している実情からみて社会経済上からも看過し得ない損失といわねばならない。」と判示し、これを理由として本件解除権及び所有権の行使はいずれも正当なる範囲を逸脱し権利の濫用に陥つたものに外ならないと断定したのである。

しかし、民法六一二条は無断転貸による解除権の行使につき何等の制約も規定してはいない。建物の所有を目的とする土地の賃貸借においても必ずしも常に原判決のいうような事情があるわけではなく、むしろ賃貸物の使用者が何人であるかということは賃貸人の利害に関するところが少くはない。賃借地の使用状況はその使用者によつて異り、その使用状況の如何は賃借地の経済的、物理的毀損に影響なしとはいい得ないのである。それ故法律は賃貸借の内容の如何を問わず一様に無断転貸を賃貸人に対する背信行為として賃貸借契約を解除し得べきことを規定したものと解せられるのである。元来法律上権利を与えられた者は任意その権利を行使し得るのが原則である。けだし社会生活においては所詮共同生活者相互の利害関係の競合は避け得られないのであるから、法律が一定の者のために一定の内容の権利を認める限り、それは必然的にその者の利益のために他の者の利益を排斥することを意味するものに外ならない。従つて権利者がその権利を行使することによつてたとえ他人に損害を生ぜしめることがあつても、ただその一事だけでこれを妨ぐべきいわれはない。しかし法律は一方に権利を認めた場合においても、他面その行使が往々他人に著しい損害を与える虞あるときは、特にその行使につき正当の事由あることを要請する等これが制約を規定する方途に出でるのである(例えば借家法第一条ノ二の如きがそれである)。そして更に法律はその本質上道徳に対する背反を肯定することはできないのであるから、もし権利の行使が社会生活上到底認容し得ないような不当な結果を惹起するとか、或は他人に損害を加える目的のみでなされる等公序良俗に反し道義上許すべからざるものと認められるに至れば、ここにはじめてこれを権利の濫用として禁止するのである(民法一条)。然るに無断転貸による解除権の行使については、正当の事由あることを要請している法律の規定はない。借地法及び借家法においてさえ解除権の行使についてはかかる制約を規定してはいない。前者においては更新請求に関する同法四条及び擬制更新に関する同六条で異議につき正当の事由あることを要請したに止まり、また後者においてはその一条ノ二で更新拒絶権及び解約権の行使についてのみ正当の事由あることを要請しているに止まる。されば前説示のように原審が無断転貸により上告人において本件賃貸借の解除権を取得したことを認めながらその解除権の行使について賃貸人たる上告人側の判示事情と賃借人たる被上告人森元タツ子及び転借人たる同人以外の被上告人ら側の判示事情とを対比して正当の範囲を逸脱したものと判示したのは、無断転貸による解除権に関しては借家法一条ノ二の如き規定なきに拘わらずこれあるが如く解せんとした嫌があるばかりでなく、原審は被上告人森元タツ子の民法六一二条一項違反によつて本件賃貸借の解除権を取得した上告人においてその解除権を行使したのは、本件宅地にデパートを建設せんとする企図に出でたものであることを認定しているのであるから、たとえ本訴当事者双方に判示のような事情があつたからとて、これを以て直ちに上告人の本件解除権ないし所有権の行使に信義誠実の原則にもとり、公序良俗に反し道義上許すべからざる権利の濫用ありとなすには足りない。それ故原判決が判示事実関係を認定しただけで権利の濫用ありとなしたのは民法一条の適用を誤つた違法があり全部破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて、民訴四〇七条一項に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岩松三郎 裁判官 斉藤悠輔 裁判官 入江俊郎)

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